「アイスコーヒー2つお願いします。あ、一つはブラックで」
喫茶店に入って席に着き、お兄ちゃんがオーダーをした時
「あれ?新井くん?」
と彼を呼ぶ声がした。声のする方向を見ると、そこには綺麗な女の人が立っていた。
「何?朝倉もゼミのことで来たの?」
お兄ちゃんは朝倉さんと呼んだその女性に聞いた。
「うん、そう。新井くんも?」
と、聞き返しながら、ちらっと由香の方を見て、続けて言った。
「珍しいわね。新井くんが女の子と二人きりなんて。いつも男連中とばっかりつるんでるのは、モテる新井くんが、特定の誰かと噂にならないようにするための防護策かと思ってたのに」
「そんなことは…ないよ」
お兄ちゃんの言葉から、彼の戸惑いを感じ取った。
「そんな関係ではないですよ、私たち。ちょっとした知り合いなんです。さっき偶然会って、暑いからお茶でもってことで、ここに入っただけなんです」
とっさに由香は、にっこり笑いながらそう言った。
「え?そうなの?てっきり彼女かと。じゃあね、またゼミで」
そう言って朝倉さんは去っていった。
お兄ちゃんは「じゃ」と言って手を挙げた。
由香も何事もなかったかのように、作り笑いと会釈をして彼女を見送った。
「ごめんな、変な気を遣わせちゃって」
朝倉さんが奥の席に着くのを見計らって、お兄ちゃんは小声で言った。
「いいの、いいの。私もお兄ちゃんのことならたいてい分かるから」
由香はそう言って笑ってみせたが、そこにはさっきのような笑顔はなく、ギクシャクした空気が流れていた。
二人は気まずい雰囲気の中、無言でアイスコーヒーを飲んだ。
飲んでいるあいだも、飲み終わった後も会話がなく、由香は手持ちぶさたで、ずっとストローをガラスコップにさして氷をつついていた。
とても暑い日だった。窓辺に目を向けると、照りつける太陽の光が、ブラインドの隙間から入り込んでいた。
ストローで氷をつつくことにも飽きた由香が、その光のラインを一本、二本と目で数えている時、お兄ちゃんが何も言わずに、伝票を持って立ち上がった。
店を出る時、朝倉さんの様子を見るために奥の方に目をやったが、彼女は二人に気づくことなく、レポートらしきものを必死で見ていた。
店を出て車に乗ると、ほんの30分ほど止めていただけだったのに、車内は相当な暑さになっていた。
二人はクーラーが効くまでの間、窓を全開にして車を走らせた。
外の音がうるさかったので、窓を開けている間も会話は止っていた。
クーラーが効き始めたので窓を閉めたが、まだ話は始まらず、仕方なく由香が口を開いた。
「お兄ちゃん、さっきの人、大丈夫?朝倉さん…だっけ?」
「大丈夫って?」
「サークルの人たちに話したりしないかな?二人で会ってたこと」
「あぁ、あいつは大丈夫」
「そう…」
由香は気のない返事をした。
「でも、俺たち、別に悪いことをしてる訳でもないし、あいつが何かしゃべっても別に構わないだろう?」
「うん、そうなんだけどね。サークルの人たちにバレたら、やっぱりマズいんじゃないかって思うの。これって抜け駆けでしょ?」
由香はおそるおそる切り出した。
「バレたら二人でサークル辞めればいいじゃない」
お兄ちゃんはハンドルを切りながら、涼しい顔でそう答えた。
「でも、お兄ちゃんはリーダーなんだし、そうはいかないでしょう?」
「そんなに気になるんだったら、サークルなんてなくしたらいいだろ!」
お兄ちゃんのその口調は、明らかに怒っていた。由香はしゅんとして口をつぐんでしまった。