雨の街角

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第五章 幸福 〜嬉しい約束〜

次のサークルについての電話が、のんちゃんから入ってきた。しかし、指定されたその日、由香は用事があって行けなかった。無理だと伝えると
「そっか、じゃ仕方ないね。新井さんの方には私から連絡しておくよ」
と言ってくれたので、のんちゃんに謝って電話を切った。

しばらくして、今度はお兄ちゃんから連絡が入った。
「サークル行かないって、どうして?もしかしたら、俺たちのことが引っかかってるの?もしそうなら、やっぱりみんなに話そうよ。怒られてもいいから、みんなに本当のこと話そう」
お兄ちゃんは少し焦った様子で言った。
「そうじゃないの。学校でね、ラットを飼っていて」
「ラット?ラットってねずみのこと?」
「そう、ねずみ」
大学で解剖用のラットに餌を与える当番があって、サークルの日は、ちょうどその当番に当たっているので、サークルには行けないと由香は笑いながら告げた。
「なんだ、そうだったのか。それなら仕方ないな。じゃ、その代わりに、日曜日、朝からちょっと遠出しようか」
「本当?朝から?朝から会えるんだ?」
由香は、心底喜んだ声で言った。
その声の様子が電話の向こうのお兄ちゃんにも伝わったのか、彼は笑いながら言った。
「おまえ、子供みたいだな。そんなに喜んでもらえたら、俺も嬉しいけど」
そういえばそうだ。今までこんなに嬉しい約束があっただろうか。ただ会えるというだけで、こんなに幸福の絶頂を感じるなんて。
嬉しいとか、悲しいとか、楽しいとか、お兄ちゃんには、そんな今まで持ち合わせたことのない感情をたくさん教えてもらった。
いや、そういう感情はあったのだが、それまではそれを素直に表現することが上手く出来なかった。

日曜になり、待ち合わせの時間に彼はやってきた。
「ね、今日はどこ行くの?」
お兄ちゃんは由香の大好きな街の名前を告げた。
「え!ホント??高校生の頃からよく行ってたの。大好きなところだよ」
「そっか、でも俺はおまえが行きそうな洒落た場所は知らないよ」
「またまた。モテる男は女の子が喜びそうな場所はよくご存じでしょ?」
「あのさ、言っておくけど、俺はそんなにモテないぞ。おまえじゃあるまいし」
「私だってモテませんよ〜」
「もう!減らず口叩かないように、ずっとここにいろ」
そう言ってお兄ちゃんは、由香の頭を腕に抱えて引っ張り、自分の膝に乗せた。
その日から、車に乗った後の由香の指定席はお兄ちゃんの膝の上になった。

お兄ちゃんの膝に頭を乗せ、窓の外を見ると、空と高い建物しか見えず、流れていく車窓はいつも高い位置にあった。
始めはどこを走ってるのか、よく分からなかったけど、馴れてきたら、その高い車窓でだいたいの場所が分かるようにまでなった。
時々、車高の高い車の運転手と目が合って、気まずく下を向いていた。

しかし、上を向いた時見えるお兄ちゃんの笑顔を見るのは由香にとって至福の時間だった。



〜彼と見た風景〜

彼があの時告げた街の名前、それは私が大好きな神戸だった。

私は神戸という街が好きで、高校の頃から友達としょっちゅう行っていた。
でも彼と行く神戸は、それまで行っていた神戸とは全然違っていた。三宮や元町、北野、旧居留地などがあるお洒落な街ではなく、埋め立て地にある防波堤や、物流コンテナばかりが目立つ工場地帯が多かった。そこでただ波の音を聴いたり、コンテナを牽引しない状態のキャビンだけが走るトラックを眺めたり、造船工場の作りかけの船を見たり。
彼が言うように、洒落た場所では全然なかったが、でもそこは彼の隠れ家的な場所だったので、そういう場所に連れて行ってくれたことが、私だけに秘密を開扉してくれたようでとても嬉しかった。
私が今でも神戸に行って海岸で綺麗な海を感じるよりも、無機質な工場地帯を眺めるのが好きなのは彼とのそういう思い出を心に連れ戻したいからなのかもしれない。

以前も書いたように、私たちは高速に乗ることはなくいつも下道を通って神戸に行った。京都から神戸に行くには国道171号線から、43号線、2号線を通る道なのだけど、その道は片道2車線が多い。だから右車線を走ると前を走る右折の車に捕まってしまい、面倒なことになるから少し遅くても左車線を走った方が結局は早いんだよと教えてもらった。

あの日以来、車の中での私の居場所は彼の膝枕になった。今はもうシートベルト必須になり、そんな居場所はとんでもない違反になるけれど。
膝枕で長時間過ごしていると体勢の悪さから足がだんだん痺れてくることがあったけど、そんなことは平気だった。それより、その場所はどこよりも幸せな場所だった。
空と高い建物しか見えないけど、馴れてくるとだんだん目に入る少しの風景だけでどこを走ってるのか分かるようになってきたし、どこを走っているのか分からなくても、上を見上げれば彼の姿がすぐ側にあるだけでもう私は溶けてしまうほど幸せなのだった(笑)
ただ、帰りはそのどちらもが辛くなってくるのだ。とあるビルが見えてくると「あぁもう京都に帰ってきたんだな。もう彼といられる時間はあと少ししかないんだ」と思い、見上げて彼の顔が目に入ればますます寂しくなる。

私はそうやって彼を下から眺めた最後の風景の記憶を、未だにことごとく心に焼き付けたまま残している。


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| 2017.08.10 Thursday |
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| 2017.12.12 Tuesday |
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