辺りを見ると、夕日はとっくに沈んでいて、空は茜色から濃紺に変わっていた。
「もう…帰らなくちゃ」
お兄ちゃんに言われ、由香もうなずいたものの、二人のあいだには帰りたくない空気が蔓延していた。
お兄ちゃんの左手がシフトレバーに伸びた時、由香は急に寂しくなり、その手を自分の右手で制止して言った。
「もう一度キスして」
3度目の口づけが終わり、車は走り出した。由香の右手は、彼の左手と繋がったままだった。手を離すと、心まで離れていってしまうようで嫌だった。
他に何もいらない、そんな感情が心の中を渦巻いていた。
会話は何もなかったけど、幸せだった。
いつの間に、こんなにも彼を好きになったのだろう?自分で自分に聞いてみたけど、そんな答えは出るはずもなかった。
車はどんどん南下していき、とうとう家に着いてしまった。
後部座席から荷物をとり、ドアを開けて言った。
「ありがとう、また…ね」
本当はまだ一緒にいたかったけど、これ以上一緒にいたら、余計切なくなりそうな気がした。
「うん、じゃあ、また」
お兄ちゃんもそれだけ言って車を出した。
彼の車が次の通りに出るまで、ずっと見送っていた。
車が、左折して由香の視界から消えていく時、彼が窓を開けて右手を振っているのが見えた。
由香は向こうから見えるはずもないのに、ちぎれるほどに手を振った。
人を好きになる感覚ってこんなだっけ?
こんなに痛かったっけ?
こんなに切なかったっけ?
分からなかった。
幸せだと思ったのと同時に痛かった、切なかった。幸せと切なさは同じくらいの重さと強さで、胸にのしかかってきた。
今までつきあってきた人や、裏切られて信用出来なくなってしまっていた心など、もう由香の中にはなかった。
ただ、お兄ちゃんのことだけが心の全てを占めていた。
さっきまで一緒にいたはずなのに、由香には彼と離れたのが、遠い遠い過去のように思えた。
今すぐにでも、また彼に会いたかった。
馬鹿だなと自分でも思うのに、その考えが消えることはなかった。
〜ドライブ〜
あの日、彼と一緒に行ったのは小浜(おばま)だった。
小浜と言えば関西の人だと「うんうん」と思われるだろうが、他の地域の方は「どこ?」という感じだろうか。
県で言えば福井県、場所的には舞鶴の東に位置する場所。
今なら京都から小浜や舞鶴に行くのに京都縦貫と舞鶴道を通れば2時間ほどで着くことが出来るが、30年近く前はそれらの高速が通っていなかったので、ただひたすら下道である国道を北上するしかなかった。
ただ、私は昔から高速道路があまり好きではない。そこそこ遠いところに行くのも大抵は下道を通る。
ナビを設定するときにも「高速道路は通らないルート」というボタンを押す。何かのCMにあったように、合流が怖い訳じゃない(笑)
車に乗ると言うのは、目的地に着くためなのかもしれないけど、私の場合「ドライブ」することの方が意味が大きく、それは高速に乗ってではなく、ドライブと言えば下道を走るものだと思っているから。高速に乗るのは目的地に着くことが目的の単なる移動手段なのだ。
高速を通ると景色も見えなければ店や観光地を通ることも歩いている人を見かけることもない。なんだか損をしている気分になる(笑)
彼ともそうだった。
あまり時間がなくて目的地に着いた途端、帰らなきゃという時間になることがあったり、ひどい時は渋滞に巻き込まれて目的地に着くこともなくUターンすることもあったけど、それでも上を通ることはなかった。
「高速に乗ると早いけど壁ばっかであまり景色が見えないからつまらないと思わない?」と私が言うと「そうそう、そうなんだよ。だから俺もあまり高速には乗らないんだよね」と笑い合ったことを今でも覚えている。
第三章〜恋心〜は今回で終了です。
次回は第四章〜秘密〜が始まります。
いつも読んで下さってありがとうございます。