雨の街角

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| 2019.03.18 Monday |
担任の授業をボイコットする生徒たち
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私が高校2年の時の話です…
お暇な方はおつきあい下さいませ(笑)
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ある日突然、クラスの子たちは担任の言うことを全く聞かなくなってしまった。そのうち、大半は担任の授業をボイコットするようになった。先生が担当する化学の時間になると、みんな教室からいなくなってしまう。教室には私を含めて5人程度しか残っていないという日々が続いた。
先生もはじめはいなくなった生徒を探しに行っていたが、そのうちいなくても勝手に授業を始めるようになった。

ある日のこと、化学の授業が終わった時、担任は私に聞いた。
「おまえはどうして俺の授業に出てくれるんだ?」
「別に。ボイコットする理由が見つからないから。だいたいみんなどうして授業に出ないの?」
私の言葉に担任は寂しそうに言った。
「俺のことが生理的に受け付けられないと言われた…」
確かに、先頭に立ってボイコットしているカズヨに聞いた時も同じことを言っていた。
「けど、先生の態度も良くないと思う。生徒に媚びを売ったような態度やあきらめの態度。それじゃ誰もついてこない」
私の言葉に先生は
「それは分かってるんだけど…な」
と苦笑いだった。

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そのうち私のいた2年5組は学校中の問題クラスとして扱われるようになった。
化学の授業は別の教師が来たり、自習になったり、時には校長が直々に教えに来たり、どんどんおかしな方向に進んでいった。

そんな日々が数ヶ月続いたが、さすがにまずいと思った私は、化学の授業が始まる前、クラスの連中が出て行こうとするのを制して言った。
「あんたたち、正当な理由もないのなら、授業に出た方がいい。みんな上(大学)に上がるつもりなんでしょ?それにあんたたちがやってることは授業を聞きたい子たちの迷惑にもなるんだよ」
私の言葉に納得したのか、仕方ないと思ったのか、カズヨ以外の生徒たちは席に着いた。
担任が入ってきた時、空いていた席はカズヨの席だけだった。

担任は嬉しそうだったが、授業が始まった途端、みんな口々に話し始め、誰も授業など聞かなかった。
「お〜い、みんな聞いてるか。これは…」
彼がどれだけ大声で説明してもやはり誰も聞かず、教室中が大騒ぎだった。
私は頭に来て自分の机を思いっきり叩いて先生に向かって言った。
「あんた!いい加減にしなよ。自分のクラスの生徒すら怖々しか相手に出来ないの?あんたがもっとちゃんと向き合おうとか、上に立って話そうとしない限り、誰もあんたの言うことなんか聞かないし、授業なんて聞く奴はいない。この前も言ったでしょ?」

私の言葉で教室は静まりかえった。
その瞬間、ガラガラと教室のドアが開いた。そこには生活指導の教師が立っていた。その教師は私のところに来たかと思うと、私の腕をつかんで教室から引きずり出した。
「クラスの連中を引っ張って、こんなことに巻き込んでるのはおまえだろう?」
担任は慌てて教室から飛び出してきて
「違います。彼女はいつもちゃんと僕の授業にも出るし、今も僕を一喝してくれただけで…」
「一喝?生徒に教師が一喝されてどうするんですか。先生、あなたもしっかりしてくださいよ。それからおまえ、ちょっと来い」
私は生活指導室に連れて行かれて、やはりその日また残りの授業を受けられなかった。
そうやってことあるごとに、何か起これば主犯はいつも私だと言われた。

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しかしその日を境に、みんな担任の授業を受けるようになった。私語は相変わらずあったが、授業が全く聞こえないほどの私語はなくなった。
カズヨだけは相変わらずで、結局2年が終わるまで担任の授業を受けることはなかった。

卒業のときにカズヨが書いてくれたサイン帳には
「忘れないで。私たちはあの2年5組の生徒だったことを。そして担任はあの豚だったことを。そのことを思い出せばどんな不幸にもどんな苦労にも耐えられると思います」
と書いてあった。

先生は翌年もまた2年の担任になったが、新2年生にはとても受けが良く、みんな慕っていたし、どちらかといえば人気者の先生だった。

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現在…高校を卒業してもう25年ほどの月日が経った。
あの学校が大嫌いだった私はもう二度と見ることもないだろうと思う忌々しいあの学校の廊下に立ってみた。
あの頃見えなかったものがたくさん見えた。
ただ、一つ見えなかったのは、やはりあの時と同じで、2年5組の生徒がどうしてあれだけ担任を嫌ったのかということだった。

部室が並ぶ、地下1階を歩いているとそこには懐かしい2年の時の担任の名前が書かれた名札が顧問としてぶらさがっていた。
「まだいたんだ、この学校に、良かった。あの時はごめんね」
私は名札に向かって話しかけた。


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ここまでの文章は私が2年前に書いた「悲しきスクールガール」という、高校時代の私小説。
これを書いた時はまだ、私は2年の時の担任に再会してはいなかった。
そう、ここに書かれた「受け持ちの生徒から授業をボイコットされていた先生」が先日の「今日一日」に出てきた吹奏楽部顧問の先生だ。

1年ちょっと前に、母校から吹奏楽部顧問の変更の連絡が入った。隣の席の部長宛にその電話がかかってきた。部長の机上のメモに書かれた新顧問の名前を見て、私は大げさではなく目が飛び出るほど驚いた。

私の心にはあの担任は大きく残っていた。どちらかと言えば良くない意味で。
だから、私は素知らぬふりをしようか迷った。でも私はあえて、彼と向き合うことにしたのだった。請求書を入れる封筒に、私は彼宛の手紙を書いて入れた。
「私は25年前に担任をしてもらった○○です。覚えていらっしゃいますか。先生にとっては忘れてしまいたいかもしれないあの2年5組の○○です(中略)もし良ければ、次の集金には私が伺います。ご連絡下さい」と書いて。
先生からはすぐに電話が来た。
「懐かしいなぁ。元気でやってたか?本当に奇遇やな。まさか君がそこいたとは」
そして私は数日後集金に行き、いろんな話をした。
たくさんの話をし、それからももう数え切れないほど積み込みに行き、請求書を持って行き、集金に行ったけど、私は未だにあの時の核心に迫る話は出来ていない。
けど、これからもしないだろうと思う。
答えが出たところでもうどうしようもない話なのだろう、多分。

くだらない昔話におつきあい下さってありがとう!
良かったらまたおつきあい下さい(笑)


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| 2012.08.07 Tuesday |
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