雨の街角

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第五章 幸福 〜難しい論説〜

その日は1時間ほどかけて、渓谷に行った。車から降りた二人は、休息所の丸太の椅子に腰掛けた。
「海もいいけど、こういうところもいいね。そう言えば、始めの頃のサークルで一度山に行ったよね。キャンプ場みたいなところ」
「うん、行った、行った。あの時、おまえ俺にわざわざ敬語遣って、嫌な感じだったよな」
お兄ちゃんは、鼻の頭に皺を寄せながら言った。
「だって…ほら、あのサークルの前に私、お兄ちゃんに好きだって告白しちゃったでしょう?なのに、お兄ちゃんは何も返事してくれなかったし…恥ずかしいやら悲しいやら、いろんな感情が入り交じっていたから」
「そっか、悪かったな。でも俺も突然のことで、返事のしようがなかったんだよ。自分の気持ちも整理出来てなかったし」
「そうだよね。突然あんなこと言われても困るよね」

二人が話す周りから聞こえてくるのは、少し遠い場所にある川のせせらぎと、鳥の声だけだった。

「今日は白のブラウスと、黒のスカートか。前にも白と黒の服、着てたよね。白と黒が好きなの?」
木のベンチで隣に座ってるお兄ちゃんが、由香の服を見て言った。
「そうだった?」
「ほら、居酒屋に行った日も、白のワンピースで襟のところが黒のを着てたじゃないか」
「よく覚えてるなぁ。そういえば着てたね」
由香はうんうんとうなずきながら答えた。
「あの日、真っ黒に日焼けして入ってきた姿をよく覚えてるよ。日焼けのことを話そうと思ったら、おまえ、ずっと機嫌悪くてさ」
お兄ちゃんは苦笑いしながら言った。
「でも帰る頃には、いろんな話するようになってたじゃない。あの日は居酒屋に行く前、のんちゃんとテニスしてたから」
「そういえば、のんちゃんって伊藤の知り合いなんだよね?おまえとはどういう友達なの?」
「小学校の時の同級生なの。私は中学に上がる時に引っ越したから中学も高校も違うんだけどね。サークルも彼女から強引に誘われたんだけど、今じゃ入って良かったと思ってるよ。友達も出来たし、何よりお兄ちゃんと知り合えたし。でも私、あれから鈴木さんには嫌われちゃったみたい。口利いてもらえないよ」
「鈴木さんか。そういえば、俺にも口利いて来ないな」
「俺にもって、お兄ちゃんは当たり前でしょ。あんなこと言っちゃったんだし」
少しあきれた顔で言った由香にお兄ちゃんは問いかけた。
「彼女の家、すごく金持ちってホント?」
「画廊の娘さんなんだって。彼女にしておけば良かった?家はお金持ちだし、逆玉だったのに」
「あの子には興味ないよ、俺」
お兄ちゃんはそういって少しため息をついたあと、言葉を続けた。

「ずっと前、分かり合えても上手くいかないこともあるって言ってたよね?あれ、どういうこと?」
「例えば、私が寂しいとするでしょ?私と似ているお兄ちゃんは、きっとそれを察知する。察知してもその寂しさをどうにもしてやれない時、罪悪感を抱いたりするでしょう?でも、もし私の寂しさを察知していなかったら、そんなこと思わなくてもいいじゃない?上手く言えないけどそんな感じかな」
「分かったような、分からないような。でも、おまえすごいな」
「どうして?」
「俺なんて、おまえより2年も長く生きてるのに、そんなこと考えたこともなかったよ」
「お兄ちゃんは、私が白と黒の服が好きだって知ってるじゃない?それでいいんだよ」
「何、それ。もしかして俺、馬鹿にされてる?」
珍しく、お兄ちゃんがすねた顔で言った。
「違うって。多くを知りすぎない方がいいってこと。何も知らないのは悲しいけど、全てを知ってしまうと、それはそれで、どちらかが辛くなってしまうかもしれないってこと」
「おまえの論説は時々難しくなるな」

そんなことを言って二人は笑っていたけど、後でその通りの辛さを見ることになるなんて、そのときは知る術もなかった。



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| 2017.08.20 Sunday | ニタモノドウシ | comments(1) | - |
第五章 幸福 〜名残惜しい唇〜

車を降り、お兄ちゃんに手を引かれて着いたところは、周りに工場ばかりが建ち並ぶ埋め立て地の埠頭だった。
「前に本を読みにバイクでよく海に来たって言ってただろ?あれがここ。俺の指定席」
お兄ちゃんは防波堤の壁を指さしながら、そう言って微笑んだ。 
しばらくのあいだ、二人は防波堤に腰掛けて波の音を聞いていた。その音は初めて行ったあの海の音とは、また違った音に聞こえた。
目を閉じて波の音を聞いている由香に
「はい」
と言って、お兄ちゃんが火のついた煙草を差し出した。
「何?」
と言いながら受け取ると、お兄ちゃんが言った。
「いつも車で火をつけて渡してくれるじゃない?いつか、俺が火をつけて渡してあげようと思ってたんだ」

二人でその煙草を交互に吸った。
それ以来、二人きりになるとよくそうした。共有している気分が心地よかった。
でも、別れ際近くになると、二人は一切煙草を吸わなかった。
約束してそうした訳じゃないけど『別れのキスが煙草臭いのは、嫌だよね』と以前話してからだったと思う。
そして由香は煙草臭くない別れのキスを毎回受けた。
名残惜しそうにしてくれる、あの唇の感触が大好きだった。

気がつくと、夏休みに入ってからかなりの日数が経っていた。
お兄ちゃんに会う時間とバイトの時間をはずしながら、由香は教習所へ通っていて、8月の終わり頃、やっと免許がとれた。その免許を手に早速お兄ちゃんに電話をした。
「お兄ちゃん?今日ね、免許とれたの。これで後期から学校に車で通えるよ」
「おまえ、電車とスクールバス苦手だって言ってたもんな。良かったじゃないか、おめでとう。じゃ、早速俺が運転見てやるよ」
「いいよ…もし事故でもして怪我させちゃ困るし」
由香は断ったけど、お兄ちゃんは
「怪我したら、おまえに一生面倒見てもらえるから一石二鳥でしょ?」
と、訳の分からないことを言った。
「嫌だよ。とにかく、私は運転しないからね」
「じゃ、いいよ。運転しなくていいから、出かけよう。今から迎えに行くよ」
そう言って電話は切れた。

迎えに来てくれた時、お兄ちゃんは由香の赤い軽自動車に気づいた。
「もしかしたら、あの赤い軽、おまえの?」
「そう。頑張ってバイトして、卒業までに普通車買うんだ」
そんな由香の言葉を聞かなかったかのように、お兄ちゃんは言った。
「気をつけよう、赤いミニカの683」
「何、それ?」
「俺だけの交通標語」
「つまらないこと言わないでよね」
由香がちょっとふくれて見せると、お兄ちゃんはそれを見て笑った。



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| 2017.08.15 Tuesday | ニタモノドウシ | comments(8) | - |
第五章 幸福 〜嬉しい約束〜

次のサークルについての電話が、のんちゃんから入ってきた。しかし、指定されたその日、由香は用事があって行けなかった。無理だと伝えると
「そっか、じゃ仕方ないね。新井さんの方には私から連絡しておくよ」
と言ってくれたので、のんちゃんに謝って電話を切った。

しばらくして、今度はお兄ちゃんから連絡が入った。
「サークル行かないって、どうして?もしかしたら、俺たちのことが引っかかってるの?もしそうなら、やっぱりみんなに話そうよ。怒られてもいいから、みんなに本当のこと話そう」
お兄ちゃんは少し焦った様子で言った。
「そうじゃないの。学校でね、ラットを飼っていて」
「ラット?ラットってねずみのこと?」
「そう、ねずみ」
大学で解剖用のラットに餌を与える当番があって、サークルの日は、ちょうどその当番に当たっているので、サークルには行けないと由香は笑いながら告げた。
「なんだ、そうだったのか。それなら仕方ないな。じゃ、その代わりに、日曜日、朝からちょっと遠出しようか」
「本当?朝から?朝から会えるんだ?」
由香は、心底喜んだ声で言った。
その声の様子が電話の向こうのお兄ちゃんにも伝わったのか、彼は笑いながら言った。
「おまえ、子供みたいだな。そんなに喜んでもらえたら、俺も嬉しいけど」
そういえばそうだ。今までこんなに嬉しい約束があっただろうか。ただ会えるというだけで、こんなに幸福の絶頂を感じるなんて。
嬉しいとか、悲しいとか、楽しいとか、お兄ちゃんには、そんな今まで持ち合わせたことのない感情をたくさん教えてもらった。
いや、そういう感情はあったのだが、それまではそれを素直に表現することが上手く出来なかった。

日曜になり、待ち合わせの時間に彼はやってきた。
「ね、今日はどこ行くの?」
お兄ちゃんは由香の大好きな街の名前を告げた。
「え!ホント??高校生の頃からよく行ってたの。大好きなところだよ」
「そっか、でも俺はおまえが行きそうな洒落た場所は知らないよ」
「またまた。モテる男は女の子が喜びそうな場所はよくご存じでしょ?」
「あのさ、言っておくけど、俺はそんなにモテないぞ。おまえじゃあるまいし」
「私だってモテませんよ〜」
「もう!減らず口叩かないように、ずっとここにいろ」
そう言ってお兄ちゃんは、由香の頭を腕に抱えて引っ張り、自分の膝に乗せた。
その日から、車に乗った後の由香の指定席はお兄ちゃんの膝の上になった。

お兄ちゃんの膝に頭を乗せ、窓の外を見ると、空と高い建物しか見えず、流れていく車窓はいつも高い位置にあった。
始めはどこを走ってるのか、よく分からなかったけど、馴れてきたら、その高い車窓でだいたいの場所が分かるようにまでなった。
時々、車高の高い車の運転手と目が合って、気まずく下を向いていた。

しかし、上を向いた時見えるお兄ちゃんの笑顔を見るのは由香にとって至福の時間だった。



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| 2017.08.10 Thursday | ニタモノドウシ | comments(6) | - |
第四章 秘密 〜永遠に続く恋心〜

「私ね、バンケットコンパニオンをやってるの。パーティコンパニオンともいうけど。ホテルのパーティではロングドレス着て、お酒作ったり、お酌をしたり、灰皿変えたり、料理を取り分けたり。ホテルの給仕さんと同じような仕事。料亭での宴会の仕事もあって、そっちはスーツ着て。一見さんお断りの料亭での仕事もあるから、普通じゃ入れないところに行けるの。そういうところだと舞妓さんや芸子さんと同じ席で一緒にお酌したり。でも宴会の時はお客さんに勧められたらお酒呑まなきゃならないから、私みたいにお酒呑めない人は困るんだよね。あとね、給料がすごくいいの。パーティって2時間がワンセット。それで5,000円以上。延長依頼されたら30分1,500円。遠くまで行けば出張費もつくの。チーフをやればその手当も出るから、もっと多くなるかな。私がチーフやることもあるんだよ」
由香は悪いことをしている言い訳のように、そのバイトについていろいろ話した。

「へぇ、時給2,500円以上ってこと?俺のバイト料の3倍以上か。そんなに稼いでどうするの?」
「車が欲しいの」
「でも言わば水商売みたいなものだよね?親は知ってるの?そういうバイトしてること」
「うん、知ってるよ。ちゃんと話してる。うちの父親はそういうパーティに出ることも多いし、変な仕事ではないって知ってるから。私が席を置いてる事務所は大手だから父も知ってて使うこともあるって。さすがに鉢合わせしたら気まずいかもしれないけど。それにうちの家は自分が欲しいものは自分で働いて買いなさいっていう教えなの。そういうのもあって、この仕事に反対はしてない。むしろ応援してくれてる」
「ちょっと変わった親御さんだな」
お兄ちゃんは苦笑いだったが、でもそのあとチクリと言った。
「水商売に偏見持ってるわけではないし、それにおまえは、きっとこういうこと言われるのは嫌だろうけど、俺はおまえが化粧して、他の男に愛嬌を振りまいてる姿はあまり見たくないかな」
やはりいい顔はされなかったけど、お兄ちゃんがそう言ったのはその時だけだった。

その後、由香がバイトに行く日は、バイト先のホテルや料亭への送迎をしてくれることもあった。
彼が迎えに来てくれる時は、必死で化粧を落とした。仕事をしていた形跡を消すかのように…
バイトが終わった後のデートは、夜遅かったので、いつも夜景の見える場所へ行った。
夜景を見てしばらくしたら車に戻り、時間の許す限りそこで話したり、何も言わずただ手を握ったままで、お互いのいる感覚を確かめていた。
でも夜の時間は、昼の時間よりずっと早く過ぎていくもので、たいした会話もしないうちに別れの時間になってしまうのが悲しかった。

何度目かの夜のデートの時、お兄ちゃんが聞いた。
「煙草、吸ってもいい?」
「あれ?お兄ちゃん、煙草吸うんだっけ?」
「うん、1日数本だけどね」
「そうだったの。あ、吸ってもいいよ。私も吸う人だから」
由香は鞄から自分の煙草を出して、それを見せながら言った。

その日から由香は、お兄ちゃんと同じ銘柄の煙草に変えた。
彼が運転中、煙草を吸いたそうにしていたら、自分の煙草に火をつけて、それを差し出した。
そうしてしばらく経った頃、お兄ちゃんが言った。
「おまえからこうやって火のついた煙草をもらうの、すごく嬉しいんだよね。いつもと違う味さえするよ」
「違う味って、また毒でも入ってるとか言いたいの?お弁当のときみたいに」
由香が笑いながら、憎まれ口を叩くと
「またそんなこと言って。旨いって言ってるんだよ。もし俺と別れたとしても、他の奴にそうやって火をつけてあげるのはやめてくれよな、絶対。これは俺だけの特権だから」
お兄ちゃんは真剣な顔で言った。
「別れたとしてもなんて言うのはやめて!冗談でも」
由香は少し怒りながら言い返した。

永遠に続く恋心なんて信じてはいなかったけど、別れる時が来るとか、駄目になるのではないだろうかという意識は、出来るだけ遠ざけたかった。

この恋を、大事に大事にしたかった。




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| 2017.08.05 Saturday | ニタモノドウシ | comments(4) | - |
第四章 秘密 〜二人の恋物語は〜

しばらく沈黙が続いたあと、お兄ちゃんが口を開いた。
「ごめん。そうだな。俺たちの身勝手だけで、サークルをなくすことになったら悪いよな、他の奴らに」
「うん。お兄ちゃんが私とつきあってるってことがバレたら、サークルに入ってる女の子、ほとんど辞めちゃうよ」
「そんなことを言うなら、男連中だって…」
「だったら、やっぱり駄目だよ」
「俺たちの恋は秘密、秘密の恋かぁ。何だか格好いい?」
怒っていたお兄ちゃんも、少しおどけて言った。
「そりゃ格好いいよ。格好いいお姉さんと、格好いいお兄さんの恋物語なんだから」
由香もそう言って微笑んだ。
結局、二人の恋は秘密ということで初めての喧嘩は終結した。

「どこの映画館に行くの?」
秘密の恋の話が成立したところで、由香は聞いた。
「この前海に行っただろ?あの時見つけたんだ」
「え?あの道中に映画館なんてあったっけ?」
「行くのは映画館じゃないよ。だって、おまえ映画館が苦手だって言っていたじゃないか」
そうだった。以前、どんな映画を見るのか聞かれたから、由香はあの雰囲気や閉塞感から映画館が駄目で、だから映画というものをほとんど見たことがないとお兄ちゃんに話していた。
「よく覚えていたね」
「だから、俺はおまえのことならたいてい分かるって言ってるじゃないか」
「さっきも言ってたけど、それって分かるんじゃなくて、覚えてる、って言うんでしょ?」
少し笑って、それでやっと二人はいつもの雰囲気に戻った。

「着いたよ」
お兄ちゃんが言うので、辺りを見回してみると、そこは大きな駐車場だった。
「ドライブインシアター?」
「うん。ここだったら、映画館のような閉塞感はないでしょ?映画がつまらなくても、車の中だから話しも出来るし」
お兄ちゃんは、そんなことを言いながら車を前に進めた。

タイトルを見ると、その日の上映はアクション映画だった。
「これってそんなに新しくないよね?」
由香が耳打ちするように、お兄ちゃんに言った。
「そんなに小声で話さなくても大丈夫だよ。窓、閉まってるし、相当の大声でない限り、外には聞こえないから」
「あ、そっか」
と言って笑った由香の手を、お兄ちゃんが握りしめた。
手を握りしめられたまま、映画は始まった。
映画なんてほとんど頭に入って来なかった。繋がれた手から、このドキドキが伝わってしまうんじゃないかと、由香はそればかり心配していた。

映画が終わり、順々に車は外に出て行った。
「もう…帰るの?あとちょっとだけでいいから一緒にいたい」
由香は素直に気持ちを口にした。
「まだ時間いいの?」
「うん、バイトで遅くなるって言っておいたから大丈夫」
「そうだ、何のバイトしてるんだったっけ?まだ聞いてないよね?」
「う、うん…」
いずれそのバイトの話をしようと思ってはいたが、同じバイトの子たちは彼氏がいい顔をしないからバイトの話は内緒にしてるという話を聞いていたから言いあぐねていた。




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| 2017.07.30 Sunday | ニタモノドウシ | comments(4) | - |
第四章 秘密 〜抜け駆け〜

「アイスコーヒー2つお願いします。あ、一つはブラックで」
喫茶店に入って席に着き、お兄ちゃんがオーダーをした時
「あれ?新井くん?」
と彼を呼ぶ声がした。声のする方向を見ると、そこには綺麗な女の人が立っていた。
「何?朝倉もゼミのことで来たの?」
お兄ちゃんは朝倉さんと呼んだその女性に聞いた。
「うん、そう。新井くんも?」
と、聞き返しながら、ちらっと由香の方を見て、続けて言った。
「珍しいわね。新井くんが女の子と二人きりなんて。いつも男連中とばっかりつるんでるのは、モテる新井くんが、特定の誰かと噂にならないようにするための防護策かと思ってたのに」
「そんなことは…ないよ」
お兄ちゃんの言葉から、彼の戸惑いを感じ取った。
「そんな関係ではないですよ、私たち。ちょっとした知り合いなんです。さっき偶然会って、暑いからお茶でもってことで、ここに入っただけなんです」
とっさに由香は、にっこり笑いながらそう言った。
「え?そうなの?てっきり彼女かと。じゃあね、またゼミで」
そう言って朝倉さんは去っていった。
お兄ちゃんは「じゃ」と言って手を挙げた。
由香も何事もなかったかのように、作り笑いと会釈をして彼女を見送った。

「ごめんな、変な気を遣わせちゃって」
朝倉さんが奥の席に着くのを見計らって、お兄ちゃんは小声で言った。
「いいの、いいの。私もお兄ちゃんのことならたいてい分かるから」
由香はそう言って笑ってみせたが、そこにはさっきのような笑顔はなく、ギクシャクした空気が流れていた。

二人は気まずい雰囲気の中、無言でアイスコーヒーを飲んだ。
飲んでいるあいだも、飲み終わった後も会話がなく、由香は手持ちぶさたで、ずっとストローをガラスコップにさして氷をつついていた。

とても暑い日だった。窓辺に目を向けると、照りつける太陽の光が、ブラインドの隙間から入り込んでいた。
ストローで氷をつつくことにも飽きた由香が、その光のラインを一本、二本と目で数えている時、お兄ちゃんが何も言わずに、伝票を持って立ち上がった。
店を出る時、朝倉さんの様子を見るために奥の方に目をやったが、彼女は二人に気づくことなく、レポートらしきものを必死で見ていた。

店を出て車に乗ると、ほんの30分ほど止めていただけだったのに、車内は相当な暑さになっていた。
二人はクーラーが効くまでの間、窓を全開にして車を走らせた。
外の音がうるさかったので、窓を開けている間も会話は止っていた。
クーラーが効き始めたので窓を閉めたが、まだ話は始まらず、仕方なく由香が口を開いた。
「お兄ちゃん、さっきの人、大丈夫?朝倉さん…だっけ?」
「大丈夫って?」
「サークルの人たちに話したりしないかな?二人で会ってたこと」
「あぁ、あいつは大丈夫」
「そう…」
由香は気のない返事をした。
「でも、俺たち、別に悪いことをしてる訳でもないし、あいつが何かしゃべっても別に構わないだろう?」
「うん、そうなんだけどね。サークルの人たちにバレたら、やっぱりマズいんじゃないかって思うの。これって抜け駆けでしょ?」
由香はおそるおそる切り出した。
「バレたら二人でサークル辞めればいいじゃない」
お兄ちゃんはハンドルを切りながら、涼しい顔でそう答えた。
「でも、お兄ちゃんはリーダーなんだし、そうはいかないでしょう?」
「そんなに気になるんだったら、サークルなんてなくしたらいいだろ!」
お兄ちゃんのその口調は、明らかに怒っていた。由香はしゅんとして口をつぐんでしまった。



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| 2017.07.25 Tuesday | ニタモノドウシ | comments(6) | - |
第四章 秘密 〜おまえのことならたいてい分かる〜

海に行った数日後、お兄ちゃんから映画を見に行かないか?と電話があった。
考えるまでもなく、返事は一つだった。
会えるんだ、お兄ちゃんに会えるんだ。
子供のように、はしゃいだ。嬉しかった。大学生にもなって、こんな恋の仕方しか出来ないのだろうかと思ったけど、会いたいものは会いたい。
恋なんて突然やってくる。それは明日かもしれないし、もしかしたら1時間後にやってくるのかもしれない。
頑なに恋を避けていた頃の自分を思うと、おかしかった。

そんなことを思っているあいだに、お兄ちゃんはやってきた。
玄関を出ると、彼は運転席の窓を開けて言った。
「よ!元気か?」
「元気よ」
そう言いながら、由香は車に乗り込んだ。
「元気だったら、また言ってくれよ」
「何を?」
「キスしてって」
「馬鹿、こんな昼間から、おまけに自分の家の前でそんなこと言う訳ないでしょ!」
由香は周りに人がいなかったか、キョロキョロしながら言った。
「俺だって言われてもしません、こんなとこで」
「もう早く出してよ、車」
由香が怒っているのを見て、お兄ちゃんは笑いながら車を出した。

「ちょっと学校に寄るから」
しばらく走ったところでお兄ちゃんは言った。
彼の大学までは、いつもなら渋滞して1時間以上かかる道のりだったが、その日は平日の昼間だったので、そうかからずに着いた。
「ちょっと待っててね。すぐ戻るから」
そう言って、大学の近くに車を止め、お兄ちゃんは走っていった。

彼が走って行った後、由香は彼の大学の門を眺めた。
『お兄ちゃんは毎日ここに通ってるんだ。私も頑張ってここを受験すれば良かった、そうしたら毎日彼に会えるのに。でもそうなると、のんちゃんにサークルに誘ってもらえなかったかもしれないし、お兄ちゃんとこんな関係にもならなかったかな。だったら今のままで良かったのか…』
そんな思いを馳せている時、彼は戻ってきた。

「お待たせ。お茶でも飲もうか。あの店のケーキ、美味しいんだよ」
車に乗り込み、そこから見える喫茶店を指さしながらお兄ちゃんが言った。
「お茶はいいけど…」
由香がケーキは苦手だと話そうとすると
「あ、分かってるって。おまえにケーキなんて勧めないから。おまえのことならたいてい分かるよ」
とお兄ちゃんが言った。
二人は顔を見合わせて笑った。



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| 2017.07.20 Thursday | ニタモノドウシ | comments(4) | - |
第三章 恋心 〜幸せと切なさ〜

辺りを見ると、夕日はとっくに沈んでいて、空は茜色から濃紺に変わっていた。
「もう…帰らなくちゃ」
お兄ちゃんに言われ、由香もうなずいたものの、二人のあいだには帰りたくない空気が蔓延していた。
お兄ちゃんの左手がシフトレバーに伸びた時、由香は急に寂しくなり、その手を自分の右手で制止して言った。
「もう一度キスして」
3度目の口づけが終わり、車は走り出した。由香の右手は、彼の左手と繋がったままだった。手を離すと、心まで離れていってしまうようで嫌だった。
他に何もいらない、そんな感情が心の中を渦巻いていた。
会話は何もなかったけど、幸せだった。
いつの間に、こんなにも彼を好きになったのだろう?自分で自分に聞いてみたけど、そんな答えは出るはずもなかった。

車はどんどん南下していき、とうとう家に着いてしまった。
後部座席から荷物をとり、ドアを開けて言った。
「ありがとう、また…ね」
本当はまだ一緒にいたかったけど、これ以上一緒にいたら、余計切なくなりそうな気がした。
「うん、じゃあ、また」
お兄ちゃんもそれだけ言って車を出した。
彼の車が次の通りに出るまで、ずっと見送っていた。
車が、左折して由香の視界から消えていく時、彼が窓を開けて右手を振っているのが見えた。
由香は向こうから見えるはずもないのに、ちぎれるほどに手を振った。

人を好きになる感覚ってこんなだっけ?
こんなに痛かったっけ?
こんなに切なかったっけ?
分からなかった。
幸せだと思ったのと同時に痛かった、切なかった。幸せと切なさは同じくらいの重さと強さで、胸にのしかかってきた。
今までつきあってきた人や、裏切られて信用出来なくなってしまっていた心など、もう由香の中にはなかった。
ただ、お兄ちゃんのことだけが心の全てを占めていた。

さっきまで一緒にいたはずなのに、由香には彼と離れたのが、遠い遠い過去のように思えた。
今すぐにでも、また彼に会いたかった。
馬鹿だなと自分でも思うのに、その考えが消えることはなかった。




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| 2017.07.15 Saturday | ニタモノドウシ | comments(4) | - |
第三章 恋心 〜弱み〜

「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
彼の言葉で二人の乗った車は山道を下った。
10分ほど走ったところで、お兄ちゃんが急に車を止めた。
「どうしたの?」
由香が驚いて聞くと、お兄ちゃんは何かを手の平に載せて見せた。
「これ」
「アリ?」
「うん。多分、海から着いてきたんだろうな。帰してやらなきゃ」
そういって車のドアを開け、そのアリを地面に置いた。
「さっきの海からまだそう遠くはないだろう?ここから一人で帰れるよな?でもおまえの足じゃ、ひと月以上かかるかな」
彼はそんなことをつぶやいていた。
『こんな人、今まで見たことないよ。見えないな、この人は。私と似ているようで似てないようで…』
由香は単純な人、良いように言えば、素直な人が苦手だった。前につきあっていた人も、その前につきあっていた人もそうだった。真っ直ぐな心に触れ、自分が悪人のように思えてしまうのだった。
お兄ちゃんのように、あまり見えない人を見ようとするのは好きだ。出会ってすぐの頃は、あまりに見えなさすぎて避けていたけど。
そして見えない人を見ようとする自分も好きだ。
恋なんてどれだけ自分を好きになれるか、そんな駆け引きの延長線上にあるような気がする。

アリを逃がした後、お兄ちゃんは数分車を走らせた。そして、少し広くなったところで再度車を止め、静かに言った。
「俺に似てるのかな、おまえ」
「さぁ、どうだろう。よく分からないけど」
由香は笑いながら答えた。
「でも多分俺たち、これからもずっと生き方が下手なんだろうな」
「うん、きっとそうなんだろうね」
しばらくのあいだ、二人はまたいつものようにそんな会話をしていた。
ただ、一緒にいたかった。
お兄ちゃんの隣のこの席にずっと埋まっていたかった。

そのうち、ふと会話が途切れた。
その時だった。運転席にいた彼が、急に体を寄せて来た。
彼との初めてのキス。
その唇はとても暖かく、そして柔らかい感触を残したまま離れていった。
キスなんていくつもしてきたはずなのに、由香の鼓動は高鳴りを越えて、心臓が飛び出しそうになっていた。
その音が聞こえたらどうしようかと思うほどに、心臓がドキドキ鳴っていた。

声も出せず、由香は下を向いていた。
どのくらい経った時だっただろう、お兄ちゃんが言った。
「俺、おまえに好きだって言われた時、いい格好して、前の彼のこと、ちゃんと考えてあげろなんて言ったけど、もしおまえが、本当にその男とヨリを戻していたらどうしようかって。そんなこと考えてるうちに、俺もおまえが好きなんだなって気づいた」
またしばらく沈黙が続き、平常心に戻ってきたことを確認しながら、今度は由香が口を開いた。
「私ね、自分から誰かに好きだって言ったこと、今までに一度もなかったんだ。この人を本当に好きなのかっていうのが、自分でもよく分からないの。それに、好きだって自分から言ってしまうことが、弱みを握られるようで怖かったから…」
「弱みっていうのは何となく分かる。でも俺は、おまえになら、弱み握られてもいい」
その言葉が終わるか終らないかという時、お兄ちゃんは再び口づけた。
その口づけを受けながら、由香はやっぱり私はこの人が好きだと改めて思った。
初めて自分から好きになった人が、こんなに好きだと思える人が、この人で良かった、そんなことを思っているうちに、唇は離れていった。
不意に涙が零れそうになった。
これまで辛い時も悲しい時も、涙を流すことなどなかったのに、涙が零れそうになった。
その涙の意味は、自分でもよく分からなかった。



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| 2017.07.10 Monday | ニタモノドウシ | comments(2) | - |
第三章 恋心 〜いつもと違う自分〜

笑いが途切れないうちに由香は聞いた。
「そうだ、どうして海で本なんて読むの?」
「海で本を読んだら、波の音がBGMになっていい感じなんだよ。前にバイクが好きって話したでしょ?高校の頃はバイクで海まで走って、そこで本を読んでたけど、最近はバイトや学校が忙しくて、そんな時間もないんだ。せっかく本を買ってもなかなか読めないし、今日は久しぶりに本を読もうと思って持ってきたんだよ」
由香は『ながら』で何かを出来ないタイプなので、音楽を聴きながら本を読むということはなかった。が、波の音を聴きながらいうのなら、それはすごく素敵なことに思えた。

「おまえ、水着持ってきたんだろ?俺は本読んでるからおまえ泳いでこいよ」
お弁当を食べ終えるとお兄ちゃんが言った。
「嫌だよ、一人で泳ぐなんて馬鹿みたいじゃない」
由香はそう言いながら海に向かい、とりあえず足をつけて走り回ってみた。
その姿を、お兄ちゃんが時々見て微笑んでいた。
自分でも信じられないような光景だった。よくドラマで、海辺ではしゃぐ彼女を彼が暖かい目で見ている、そんな情景。テレビドラマで見て馬鹿馬鹿しいと思っていた情景そのものになっている。
由香にはこれまで恋人も何人かいたし、一緒に海にも行った。でもこれまで誰と行っても、海が嬉しくて走り回ることなど、一度もなかった。
この人といると調子が狂うな、と思いながらも、そんな風にいつもと違う自分を感じるのも悪くなかった。

「おまえも本、読む?」
しばらくしたところでお兄ちゃんが言った。
由香は段ボール箱をあさって、一冊の本を取り出した。その本は、おでこにバンダナを巻いた、面白い顔をした男の人の絵が表紙に描かれていた。その絵がインパクトあって手にしたようなものだった。
そうしてしばらく二人は波の音をBGMに本を読んだ。

海にいる間中、二人はずっと本を読んでいた。読み切れなかった由香は、その本を借りて帰ることにした。それは本を返すという次の約束が出来たということだった。

読書の時間は、お兄ちゃんがいうように波音のBGMを聞きながらの、素敵な時間だった。まして隣に彼がいる暖かさは、今まで経験したことのない感情を伴った。
帰る時間になったが、由香の心はまだ帰りたくない気持ちでいっぱいだった。
『このまま海辺で夕日を見ることが出来たら、すごく綺麗なんだろうな。もっといたかったな』
心の中でつぶやいた。
しかし、もっといたいというのは、ここにいたいのではなく、彼といたいのだということを、十分過ぎるほど分かっていた。



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| 2017.07.05 Wednesday | ニタモノドウシ | comments(6) | - |
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